Vol.01 彦谷 明子

現在の所属先:浜松医科大学病院眼科

私は2010年7月から半年間、米国インディアナ州インディアナポリスにあるインディアナ大学へ臨床見学に行った。インディアナ州は米国中東部に位置し、日本との時差は14時間である。車で3時間(飛行機で1時間)北上すればシカゴだ。冬は-20度を下回ることもあるほど寒さが厳しいが、夏は強い日差しが照りつけるものの日本よりは過ごしやすかった。インディアナポリスの人口は80万人ほどで、浜松市とちょうど同じくらいである。都会すぎず、のんびりとした小都市で明るいうちならダウンタウンを徒歩でぶらぶらしていても危険がなかった。世界3大カーレースのひとつであるIndy 500で有名な街であり、25セント硬貨のデザインにもレースカーが使われている。

インディアナ大学は8つのキャンパスをもち、医学部があるのは2番目に大きいインディアナ大学パデュー大学インディアナポリス校(Indiana University Purdue University Indianapolis: IUPUI)である。IUPUIのキャンパスにはいくつかの大学病院があるが、私は主にこども病院であるRiley Hospital for Children(Riley Outpatient Center: ROC)で過ごした。

ROCの外来は曜日によってかわるが、平均3人のドクターで1日70-100人ほどの患者を診察する。患者は待合室から診察室に呼ばれると問診と検査(視力、屈折、眼位、立体視)を受け、同じ部屋でそのままドクターの診察(前述の検査のほかに細隙灯、眼底)を受ける。ROCはこども病院だが、眼科では大人の斜視患者も受診していた。7つの診察室の他には未散瞳眼底カメラと自動視野計、レフラクトメーターが1台ずつある検査室が1部屋あるのみで、基本的に検査は最小限であった。ヘスチャートもシノプトもない。OCTなどの検査が必要な場合は別の病院で行っていた。

アメリカの眼科医にはOphthalmologistと、Optometristがいる。ROCには1名のOptometrist がいて、小児白内障術後のコンタクトレンズの処方や、手術を要しない斜視患者や屈折性弱視患者のケア、ダウン症の眼科スクリーニングなどを担っていた。小児眼科斜視部門には5人のFaculty、2名のFellows、1年目と3年目のResidents(Residentsは2カ月ごとにローテート)各1名がいて、それぞれの立場から私に接してくれた。私はドクターについて診察させてもらったりしたが、米国で診療する資格はないので基本的には見学者という立場であった。それ以前に英語が思うようにできず苦労した。


ROCの前にて


6メートル以上ある広い診察室。
視力表やレンズ一式もある。


ROCには様々な人種の患者が来て、日本ではあまりみることがない疾患に触れることもあった。例えば「Sickle cell」。これは黒人の赤ちゃんを診察しているときに知った。既往歴にSickle cellがあり眼科スクリーニングに来たという。「鎌状赤血球」である。学生時代に習ったが眼科に関係すると意識したことはなかった。鎌状赤血球では貧血に伴い網膜症を合併することがある。ROCでは実際に網膜症を発症した小児患者をみることはなかったが、症例検討会Grand Rounds で成人の蛍光眼底造影写真をみる機会があった。糖尿病網膜症のように無血管野や新生血管がでることがある。ほかには「TID」。眼振のある赤ちゃんが来るとスリットを覗きながら「TIDがどうこう。」と言っている。あとでカルテを確認するとTransillumination Defect とあった。白子症にみられる虹彩の透光性のことだった。Caucasian はもともと色素が薄いので白子症かどうかの判断に毛髪や皮膚の色は参考にならないし、眼底も赤い。眼底の黄斑低形成や虹彩の透光性の有無で判断する。そこで眼振のある子が来ると、白子症を除外するためTIDに注意を払っていたのだ。


左からDr. Smith, Dr. Neely, 私, Dr. Plager


Dr. Plager(小児眼科斜視部門教授)と手術室にて


ROCでは手術は全例全身麻酔下であったが、すべて日帰り手術である。火曜日に2部屋、木曜日は1部屋で、1部屋あたり1日6-8例ほどの手術や検査が行われていた。斜視以外に内眼手術も毎週あり、小児の白内障、緑内障の症例はたいへん豊富であった。私は留学前に小児の内眼手術は一部施行したことがある程度で経験がなかったが、症例・術式とも幅広く、今後みてきたことをどのように生かすか考えている。

ここではROCでのことばかり書いたが、インディアナでの日常生活も面白い経験だった。日本では何の苦労もなく通ることも、インディアナでは時間も手間もかかった。車を購入するまでに2カ月もかかり、それまでは夏の炎天下を何十分も歩くのが当たり前で、暑くて苦労した。しかし、歩いている私に話しかけてくる人たちを通して、インディアナの人たちの気さくさや親切に気づくこともできた。また、トルコで開催された世界斜視学会やシカゴでのアメリカ眼科学会AAOにも参加し、旅行も楽しむことができた。10月には堀田教授や佐藤先生、西村先生、根岸先生たちがインディアナを訪ねてくれた。

ROCでみたこどもたちは好奇心に溢れていて、人見知りをする子などはほとんどいなかった。固視目標として何かおもちゃをだすと、1歳だろうが2歳だろうがじっと見ている。日本では顔を伏せておもちゃを見てくれない子がいるのと対照的だった。新しいことに積極的な精神は幼少時から育まれているようだ。私は日本でみるこどもたちと同じように新しい世界になかなか踏み出せない方であったが、今回思い切ってインディアナへ行き世界を広げることが出来た。留学を勧めてくれた堀田教授や、自身留学していたインディアナ大学に紹介し見守ってくれた佐藤教授はじめ、私の留学を支えてくださった先生、スタッフの方々にたいへん感謝している。