浅井竜彦病院准教授が退任されました。

浅井竜彦先生の退任にあたり

堀田喜裕 教授

私が赴任したときから大学にいるのは浅井先生だけで、すでに13年半がたち、言い換えれば、先生との関係は、私の浜松医科大学眼科での歴史そのものです。したがって、私は、先生の退任を最も寂しく思う1人と思います。振り返ってみると、角膜では当時世界一であった、米国ルイジアナ州立大学アイセンターでの角膜移植に関する免疫学の立派なご研究、大学に戻って来られてからの学位の取得、講師就任、そして一昨年の病院准教授就任と、先生は順調にステップアップしてこられました。13年前には、中神先生に角膜移植の待ち患者を聞くと、0ですといわれて驚きましたが、手術の待ち患者がほとんどいないところから、DSAEKの適応の患者が紹介されるようにしていただきました。一方、そうした表舞台よりも、眼底写真のスライドの倉庫化していた研究室の整備、新外来の設計と機器の整備、種々のトラブルシューティング等、獅子奮迅の活躍がうかんできます。本当にご苦労さまでした。

先生がこれから船出をして、20年後に成功した先生に再開し、思い出に浸っているのならそれでいいのですが、これからが勝負だと思います。先生より少し長く生きてきたので、先生のこれまでの貢献に感謝をこめて申し上げます。まずは、言うまでもないことですが健康に留意してください。2番目には、開業は、大学の医療と全く異なり、結膜炎、屈折異常、白内障の経過観察が主ですから、できることから初めて、無理をしすぎないで次第に大きくしていくことをすすめます。手術は、あくまでも評判をよくするために行う程度にすべきかもしれません。これからまわりにどんどんライバルが増えていきますが、診療報酬はおそらくどんどん下げられていきます。これまで以上に勝ち組、負け組みがはっきりしていくことが予想されますので、先生の今までのような馬力で取り組み、近い将来には教室にたくさん寄付してくれる程、立派になってください。ちょっとだけ気になっていることを申し上げます。先生はなんでも自分で切り開いて来た、また、そうした能力があるので、他の人に比べると、あまりまわりに相談して来られなかったように私の目には写ります。困難な時代には、なによりも、相談できる優秀な人、先生をささえてくれる人が重要になります。そうした人に恵まれることを心から祈っております。

先生が去られてから、先生が心配されていたように、大学はとてもたいへんな状況が続くことが予想されます。私は怖いもの知らずで、13年前には知り合いは0でスタートしました。これまで数え切れない程の幸運に恵まれ、現在では強力なメンバーがいて、いつも親友から羨ましがられます。これから10年間がどんなことになるか、全く想像できませんが、臨床、研究、教育にバランスのとれた教室を構築し、次世代に引き継いでいきたいと考えております。今後とも同じ地域で眼科医療を支える仲間として、もしかするとライバルとして、どうぞよろしくお願い申し上げます。

最後にもう一度お礼を申し上げます。ご協力いただき、ありがとうございました。

2596_1
12月18日、オルタリストランテで、浅井竜彦先生の送別会が行われました。
聖隷三方原病院の先生方も参加されました。

2596_2
佐藤美保病院教授より花束の贈呈

2596_3
浅井竜彦病院准教授退任の挨拶

2596_4
1月26日、あさい眼科の内覧会にて